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ヤマハにも在籍した元NZ代表ジェリー・コリンズ、交通事故で死亡

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オールブラックスの仲間とともに。トロフィーを抱えるジェリー・コリンズ(Photo: Getty Images)


 オールブラックスのFLとして活躍し、かつてジャパンラグビートップリーグのヤマハ発動機ジュビロでもプレーしたジェリー・コリンズが、交通事故で亡くなった。34歳だった。『ニュージーランド・ヘラルド』紙など海外メディアが一斉に報じている。

 同紙によれば、家族とともにフランスに住んでいたコリンズは6月5日、早朝に高速道路で自動車事故に遭い、同乗していたパートナーの女性とともに死亡が確認されたという。彼らの生後3か月の娘は重態で、病院に運ばれた。フランスの警察が事故の詳細を調査中だが、乗客21人を乗せたバスに追突され、10メートル近く車を飛ばされたコリンズらは即死だったという。

 ピリ・ウィップーやケヴィン・メアラムなど、かつての仲間たちはツイッターで驚きと深い悲しみをつぶやき、ニュージーランドラグビー協会も追悼の声明を発表した。
 SANZAR(南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリアの連合組織)のグレッグ・ピータースCEOは「ジェリー・コリンズはまちがいなく、ウェリントン、ハリケーンズ、オールブラックスのレジェンドだ。彼のラグビーに対するパッションと愛は、周りの人々全員を奮起させた。複雑な個性は時に誤解されることもあったが、ジェリーは素晴らしい人間で、彼を知る者はみな悲しみに包まれている。安らかに眠ってくれ、JC。ラグビー界は哀悼の意を表し、偉大な男を忘れない」とコメントした。

 ジェリー・コリンズはサモアの首都アピアで生まれ、幼い頃にニュージーランドに移住した。ウェリントン地方代表、ハリケーンズで活躍し、2001年6月23日のアルゼンチン戦でオールブラックスデビュー。骨身を砕くようなハードタックルが持ち味で、ワールドカップ2大会(2003、2007)を含むテストマッチ48試合に出場した。シャイな笑顔もチャーミングだったコリンズはその後、トゥーロン、オスプリーズと渡り歩いたあと、2011年から2年間はヤマハ発動機ジュビロに在籍していた。
 ヤマハを退団したあと、浜松市内のデパートで銃刀法違反の疑いで現行犯逮捕されたことがあったが、彼はのちにニュージーランドメディアに対し、不可解な理由でギャングに狙われ、護身用に刃物を持っていたと証言していた。

 その後、多くの激励や支援を受けて社会復帰し、カナダにある鉱山の警備会社で働きながら、空いた時間にラグビーを続けていたコリンズ。今年1月、負傷者が相次いでいたフランス2部リーグのナルボンヌと契約を結び、降格危機にあったチームの勝利に貢献していたが、5月3日の試合が彼にとってのラストゲームとなった。

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英雄が亡くなった日。ハリケーンズ対ハイランダーズ戦で「CAPTAIN JERRY」の旗を掲げたファン
(Photo: Getty Images)


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