2007年W杯の日本戦でトライを挙げ喜ぶランベニ氏。フィジーは同大会で準々決勝に進出した
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フィジー代表としてワールドカップ2大会(2003、2007年)を含む30試合に出場し、スーパーラグビーのハイランダーズやイングランド強豪クラブのレスター・タイガースなどでも活躍したセルー・ランベニさんが、3月15日、37歳の若さで亡くなった。『FIJI Sun online』など地元メディアが報じ、死因は心臓発作とみられている。家族の話によれば、ランベニさんは長く病気を患い、火曜日あさに朝食をとっていた際に倒れて、自宅で亡くなったという。
激しいタックルと力強い走り、そして頭脳的なプレーが特長だった名CTBで、2000年5月に東京・秩父宮ラグビー場でおこなわれた日本代表戦でテストマッチデビュー。フィジー代表として挙げたトライは2007年ワールドカップの日本代表戦が最後で、母国の代表ジャージーを着てのラストマッチは2011年7月にラウトカでおこなわれた日本代表との試合だった。
パシフィック・アイランダーズ代表にも選ばれ、同チームでは9キャップ。
7人制フィジー代表としてもプレーし、2002年のコモンウェルスゲームズ(英連邦総合競技大会)では銀メダルを獲得している。
2013年に引退後は、アメリカのリンデンウッド大学でコーチとしてのキャリアをスタートさせ、2014年には香港でも指導していた。