南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ元大統領の訃報を受け、日本ラグビーフットボール協会は6日、在日南アフリカ共和国大使館並びに南アフリカラグビーフットボール協会に対して弔意を伝えた。
首相在任中に日本国首相として初のアフリカ歴訪を行い、南アフリカ共和国も過去に公務で3度訪問したことがある日本ラグビーフットボール協会の森喜朗会長は、「マンデラ氏は世界史に残る偉大なリーダーでした。強い信念と不屈の闘志で差別と戦い続け、アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃を勝ち取った自由の闘士の死去に際し、心から哀悼の意を表します。2009年にプレトリアで行われたズマ現大統領の就任式の際にお見かけしたのが最後になってしまいました。ラグビー界にとっては、1995年のワールドカップで、ラグビーには人種や民族、思想信条などを超越して人々の心を一つにする素晴らしい力があることを教えてくれた存在でした。日本のラグビーファミリーを代表し、世界のラグビー界とともにご冥福をお祈りいたします」とコメント。
2007年のラグビーワールドカップで南アフリカ代表のテクニカルアドバイザーを務め、同国の優勝に貢献したエディー・ジョーンズ現日本代表ヘッドコーチは、「南アフリカで指導していた時に何度かお目にかかる機会があっただけですが、とても謙虚で、スプリングボックスのラグビーを見るのがお好きな方でした。ご冥福をお祈りいたします」と語り、マンデラ氏の死を悼んだ。
南アフリカでアパルトヘイトが行われていた時代、ラグビーは白人のスポーツと位置づけられ、ラグビーの同国代表「スプリングボックス」もほぼ一貫して白人選手のみで編成されていた。大統領就任翌年の1995年に同国で開かれたラグビーワールドカップで、マンデラ氏は人種、民族間の和解や協調のシンボルとして、有色人種サイドにとってはアパルトヘイトの象徴だったスプリングボックスへの支持を表明。スプリングボックスはその期待に応え、戦前の劣勢の予想を覆して決勝でニュージーランド代表「オールブラックス」を延長の激戦の末15-12で破って初優勝。この勝利は、新生南アの4300万人の国民に誇りと喜びを与え、人種や文化が多様で「レインボーネーション」と呼ばれる同国の一体感醸成に大きく寄与したと言われている。(日本ラグビー協会プレスリリースより)
首相在任中に日本国首相として初のアフリカ歴訪を行い、南アフリカ共和国も過去に公務で3度訪問したことがある日本ラグビーフットボール協会の森喜朗会長は、「マンデラ氏は世界史に残る偉大なリーダーでした。強い信念と不屈の闘志で差別と戦い続け、アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃を勝ち取った自由の闘士の死去に際し、心から哀悼の意を表します。2009年にプレトリアで行われたズマ現大統領の就任式の際にお見かけしたのが最後になってしまいました。ラグビー界にとっては、1995年のワールドカップで、ラグビーには人種や民族、思想信条などを超越して人々の心を一つにする素晴らしい力があることを教えてくれた存在でした。日本のラグビーファミリーを代表し、世界のラグビー界とともにご冥福をお祈りいたします」とコメント。
2007年のラグビーワールドカップで南アフリカ代表のテクニカルアドバイザーを務め、同国の優勝に貢献したエディー・ジョーンズ現日本代表ヘッドコーチは、「南アフリカで指導していた時に何度かお目にかかる機会があっただけですが、とても謙虚で、スプリングボックスのラグビーを見るのがお好きな方でした。ご冥福をお祈りいたします」と語り、マンデラ氏の死を悼んだ。
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南アフリカでアパルトヘイトが行われていた時代、ラグビーは白人のスポーツと位置づけられ、ラグビーの同国代表「スプリングボックス」もほぼ一貫して白人選手のみで編成されていた。大統領就任翌年の1995年に同国で開かれたラグビーワールドカップで、マンデラ氏は人種、民族間の和解や協調のシンボルとして、有色人種サイドにとってはアパルトヘイトの象徴だったスプリングボックスへの支持を表明。スプリングボックスはその期待に応え、戦前の劣勢の予想を覆して決勝でニュージーランド代表「オールブラックス」を延長の激戦の末15-12で破って初優勝。この勝利は、新生南アの4300万人の国民に誇りと喜びを与え、人種や文化が多様で「レインボーネーション」と呼ばれる同国の一体感醸成に大きく寄与したと言われている。(日本ラグビー協会プレスリリースより)